いま,「共生社会」というワードが頻繁に使われています。なんとなく分かるのですが、具体的に何を指すのか深く考えると分からなくなります。
分かるけど分からない
法律などでは、認知症や要介護状態や障害になったりしても、互いを尊重し支え合う社会であることを指しています。でも、隣の人と話したこともない現代において、そういった共生社会というものが本音で語られるのかは少し疑問です。
二分化
支援する側とされる側、治療する側とされる側など、社会は時に二分化します。穏やかに暮らすといっても、自分が健康の間はいいにしても、病気になったら、この二分化した社会に連れ戻されてしまいます。
そこで、二分化した社会であることは認めた上で、どのようにして共生社会を実現していくのかがカギになります。共に生きるということは、自分の状態に自身が理解することで、相手の悲壮や希望に気づくことができるのではないでしょうか。要は、自分を知ることです。
自分を知り相手を知る
よんくるでは、自分を知ることの大切さを共有できる場所になりたいと考えています。そうした小さな関係から、共生社会って生まれるのでしょうから。
参考
厚生労働省:地域共生社会のポータルサイト
戦うわけではないですが孫氏の兵法みたいですね。
世の中、互いに思いやって生きていくためには相手を知るだけではなくて自分を知る方も大事なんですね。
私は自分がよくわからない。精進しま〜す。
自分を知る、って言葉で言うのは簡単ですが、何十年生きていても分からないものですよね、(笑)。ひとつのヒントとして、物事の捉え方を認知と感情に分けると良いとされています。たとえば、スポーツにはルールがある。スポーツをした時は爽快な気分なる!とかに分けると、ルールという規範の中で公平に競い合うことが自分は好きなんだ、と理解したりします。